願勝寺について
about Ganshouji
願勝寺について
about Ganshouji
平井の里は、藤原道長(平安時代中期の公卿)の官房長官をつとめ和泉式部(平安時代中期の歌人)の再婚で知られる平井(藤原)保昌(平安時代中期の貴族)の出生地です。
かつて平井家が勧請したと伝えられる平井山白山権現寺(今の平井自治会館の場所)が隆盛を誇っていた。もとは真言宗であったが、約400年以前、蓮如上人(本願寺第8世)の教化をうけて浄土真宗に改宗したと伝えられている。
文安年間(1444〜1449)に蓮如上人自筆の名号を安置(現在不詳)慶長年中に本尊を阿弥陀絵像にし、承応2年(1653)に木仏を再興したと云われています。鐘楼は権現寺にあり荒木摂津守の放火で灰となり、焼け残った鐘楼が願勝寺同行のもと境内に移されました。
概要
開基 不詳
創建 不詳
本佛 承応2年8月11日(1652〜1655)
寺号 寛文7年2月21日(1661〜1673)
一、自庵申替 文政4年3月
一、自剃刀(帰敬式)おかみそり 宗汁(そうじゅう) 文政4年6月12日(入寺)(1818〜1830)
一、天保3年3月20日(1830〜1844) 愍乗(びんじょう)
この間詳細不明
― 本願寺史料研究所 摂津国末寺帳 願勝寺記載部分より
願勝寺職員
・住職
寺川秀哉
・前住職
寺川寛哉
・衆徒
寺川勝哉
・法務員
仮屋孝之
・坊守
寺川真奈美
・前坊守
寺川博江
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